誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国(著:シルヴァーノ・アゴスティ、訳:野村雅夫)

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「1日に3時間しか働かない国」というタイトルに純粋に惹かれて手にしました。表紙のイラストはパステルカラーで親しみやすく、本そのものの構成も大きな字で簡潔にまとめられていましたので、1時間ほどですらりと読み終えることができました。しばらく三島由紀夫作品と格闘していましたので、よい一息をつくことができました。

 

さて、皆さまはキルギシアという国をご存知でしょうか。アジアに位置するキルギシアでは、人は3時間しか働かず、大きな病院も、警察官も、アルコールも、ドラッグも、義務教育も、憲法も何もないそうです。そんな国は本当に成り立つのだろうか、という疑問が生まれてきますが、心の豊かささえあれば、すべてうまくいくというのです。

 

さて、ここまで読まれた皆さまはキルギシアという国をどのように受け止められますでしょうか。毎日早朝から深夜まで働き詰めに働いて、数少ない休日も月曜日からの仕事のために体力を温存するなど、いったい自分は何のために働き、何のためにこのような生活をしているのか。ふと立ち止まると、自分のやりたいことからいつの間にかかけ離れた生活に転じてしまっている方がほとんどではないでしょうか。

 

私ももちろんその一人です。一日に3時間働くだけで生きていけるなんて幻想にもほどがあり、そんなのあってたまるか、と始めは非常に受け入れがたかったです。しかし、その強がりの中には「そうであったらな」という小さな願望が隠れていることに気が付かされていきます。たとえそれが無理であっても、そんな国っていったいどんなだろうという好奇心があったのです。

 

私たちは情報化社会に生きており、情報の波に乗れない者は置いて行かれるといった、せわしない現代社会に生きています。そんな忙しさやあわただしさによって、大切な何かを忘れていはいないでしょうか。家族と過ごす時間、かつての趣味、恋愛、自分自身そのもの、将来の夢、これからの未来…目の前にある累積した事象にエネルギーを注ぐことももちろん大事ですが、目的を忘れてはいけませんね。

 

本作品で印象的であったのは、キルギシアの教育制度です。そこには学校はなく、あるのは公園と学びの家のみ。義務教育制度もない代わりに、学ぶ機会が与えられているのです。勉強と学びは相反するものという考え方に非常に感銘を受けました。強制に強いられて行う勉強と、自らの興味に始まる学びとでは、吸収力も成果にも大きな差が表れてきます。

 

脱学校論という理論に感銘を受けていた私にとって、本作品は勇気を与えてくれる一作です。学校になんか行かなくても、留学などしなくても、一流大学に行かなくても、良い教師に出会えずとも、自らの興味関心さえあれば、どんなことからも学ぶことはできるのです。図書館に行けばたくさんの文献がありますし、インターネットを使えば世界中のソースにアクセスすることが可能です。

 

受動的な構えでは、何も身についてきません。いつも能動的に行動しなくてはならないのです。それは教育だけでなく、私たちの人生そのものにも当てはまることです。自らの不遇に悲観している時間があるのであれば、どうその状況を脱するかを考えましょう。自らの人生は自らの力で切り拓くものです。

 

明日も8時間の労働が待っている方が多いことでしょう。しかし、心の片隅にキルギシアの名をとどめておいてください。きっとあなたにひと時の心の安らぎを運んでくれるはずです。