決定力!正解を導く4つのプロセス(著:チップ・ハース、ダン・ハース)

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スイッチ!に引き続き、同じ著書の書いた本を読みました。やる気スイッチがONになった次は、決定する力が必要ですよね。服を買うときに色で悩んだり、AランチかBランチかで頭を悩ませたりと、私たちが生きる上で「選択」は密接に関わっています。

AかBで悩んだ時、本当に二つの選択肢しかないのかを考えましょう。また、ORではなくANDで考えるクセも必要です。やって後悔するよりも、やらなかったことに人は後悔をする傾向にあるようです。AランチもBランチ食べなさい、というわけではありませんが、その他の選択肢を見つけることは大事なことですね。

「WRAP」というメソッドを使えば、私たちが物事を決める際に非常に役立つとありました。Widen your options(選択肢を広げる)、Reality-test your assumptions(仮説の現実性を確かめる)、Attain distance before deciding(決断の前に距離を置く)、Prepare to be wrong(誤りに備える)の4つです。どれも難しいものではありませんが、いざとなるとなかなかできないことかもしれません。

そんな時は、本書を読み返してこの4つのメソッドを復習しましょう。

 

「変われない」を変える方法 スイッチ!(著:チップ・ハース、ダン・ハース)

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♪やる気スイッチ君のはどこにあるんだろう~見つけてあげるよ、君だけのやる気スイッチ~♪某CMでおなじみのフレーズですね。皆さんは自分のスイッチがどこにあるかご存知ですか?

平日は仕事漬け、休日も次の週に備えて体力温存…仕事一筋の自分ですが、なかなか+αの新しいことにチャレンジできず、このままで良いのだろうかと頭を悩ませていました。そんな時、お薦めされたのがこの一冊です。

①ブライトスポット(お手本)を見つけ、成功している人から秘訣を学ぶ、②習慣化し、行動を周囲に宣言することでスイッチを入れる、③行動ができないのは疲れているから・環境が悪いから、など改めて言われると「確かに」と頷きたくなりますし、全ては自分のせいではないとホッとさせられますね。

 自分だけのやる気スイッチが見つけられている方も、まだの方も、ぜひ本書を手に取って頂きたいと思います。

 

ないもの、あります(著:クラフト・エヴィング商會)

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「ないもの、あります」そそられるタイトルですよね。題名にも負けず、この中身もまた面白いのです。「転ばぬ先の杖」や「堪忍袋の緒」など、実際に現物は存在しないものをモノとして見る、初めての試みとも思える興味深い内容です。

 

特に「先輩風」という項目は、ふと我を顧みるきっかけとなりました。誰もがいつかは先輩になり、いつしか先輩風を吹かせて優越感に浸る、そんな一瞬がありますよね。もちろん皆が恰好をつけたいですし、先輩風に当たってきたことを思えば、やっと自分の番が回ってきた、といった感覚にもなります。でも、誰もが後輩でもあることを忘れてはいけませんよね。最後の一文に私はハッとさせられました。謙虚に生きたいものです。

思わず誰かに話したくなる経済の不思議(日本経済新聞社:編)

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何年かぶりの更新です。時間に追われる忙しさを理由に、しばらく読書をさぼっておりましたが、本好きの方とのお話を通じて知欲に駆られ、居ても立っても居られず図書館に足を運びました。それも経済コーナーです。表紙に小さく書かれている「実はそんなに高くないのよ。スカイツリーの入場料」という一文に惹かれました。

 

高額な入場料を取るスカイツリーですが、他国の同レベルの展望台入場料と比べるとそれほど高価なものではなく、またスカイツリーの建設費用を鑑みれば、その入場料はそれほど高いものではないそうなのです。現在の入場料をベースとしても、総建設費用を回収するには約8年間かかるとのこと。先ずは費用回収に重点を置き、無事に回収できた暁には価格検討がなされる作戦なのかも(?)しれませんね。

 

その他にも、動物園の動物たちはどのようにして集められるのか、ハンバーガー屋さんになぜ学割が存在しないのか、食べ放題は儲かるのか、などなど日常生活の中にある何気ないハテナに対する記述が満載で、非常に楽しく読み進めることができました。経済と聞くと小難しく聞こえ、どうしても壁を感じてしまいますが、私たちの生活に密接な関りがあるものだと気が付くことができました。

Dewey the Library Cat (図書館ネコのデューイ) Vicky Myron with Bret Witter

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久しぶりの洋書です。しばらく日本語漬けでしたので、良い気分転換になりました。大きな字で書かれているため、通勤電車の中でもスムーズに読み進めることができます。ネコや動物に関する単語がしきりに出てくるため、少々難解な部分もありましたが、ネコ好きの皆さまには、ぜひ一読いただきたいお話です。

 

とある図書館の返却ボックスに突如現れた子猫。図書館司書が彼を保護するところからストーリーが始まります。図書館の看板ネコとして活躍を広げるデューイは、命の恩人に恩返しをするかのように、周りの人々に愛と勇気を分けてくれました。図書館に訪れる人の様子を見て、そばに寄ったり、ひざの上に座ったりと、訪れる人の心に寄り添っていた彼は、本当にネコなのだろうかと疑いたくもなってしまいます。

 

図書館内で動物を飼うという突拍子もない提案に、はじめは周囲の理解を得ることができませんでした。中には、アレルギーの方もいますので、そうやすやすと案は通りません。しかし、聡明で利口なデューイは、もって生まれた天性か、次第に周囲の理解を得ていきます。遠い街からわざわざやってくる人、ドキュメンタリー作品の制作のために日本からやってきた撮影陣のことなども記載されていました。

 

小さな田舎図書館のデューイはいつしか世界中で知られるネコとなりましたが、命は永遠には続きません。おじいさんネコになるまで図書館での仕事を全うした彼は、天国に行ってしまいました。誰もが悲しいニュースに涙を誘われましたが、不思議なことが起こったそうです。彼がいなくなってしばらくしたのち、また図書館の返却ボックスにその子がいたのだそうです。

 

輪廻転生という言葉がありますが、皆さまはどう受け止められるでしょうか。目の色、毛の色は全く違うそうです。ただ、その子の素直なまなざしは、デューイそのものだそうです。図書館司書は彼を自分の実の子供のように愛していました。デューイはそんな彼女のそばにずっといたいと、姿を変えて戻ってきたのかもしれません。

 

豊饒の海」も転生が一つのテーマになっていました。私には前世の記憶はありませんが、ひょっとすると大切な誰かのために、やりのこした何かのために、再び現世に戻られた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国(著:シルヴァーノ・アゴスティ、訳:野村雅夫)

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「1日に3時間しか働かない国」というタイトルに純粋に惹かれて手にしました。表紙のイラストはパステルカラーで親しみやすく、本そのものの構成も大きな字で簡潔にまとめられていましたので、1時間ほどですらりと読み終えることができました。しばらく三島由紀夫作品と格闘していましたので、よい一息をつくことができました。

 

さて、皆さまはキルギシアという国をご存知でしょうか。アジアに位置するキルギシアでは、人は3時間しか働かず、大きな病院も、警察官も、アルコールも、ドラッグも、義務教育も、憲法も何もないそうです。そんな国は本当に成り立つのだろうか、という疑問が生まれてきますが、心の豊かささえあれば、すべてうまくいくというのです。

 

さて、ここまで読まれた皆さまはキルギシアという国をどのように受け止められますでしょうか。毎日早朝から深夜まで働き詰めに働いて、数少ない休日も月曜日からの仕事のために体力を温存するなど、いったい自分は何のために働き、何のためにこのような生活をしているのか。ふと立ち止まると、自分のやりたいことからいつの間にかかけ離れた生活に転じてしまっている方がほとんどではないでしょうか。

 

私ももちろんその一人です。一日に3時間働くだけで生きていけるなんて幻想にもほどがあり、そんなのあってたまるか、と始めは非常に受け入れがたかったです。しかし、その強がりの中には「そうであったらな」という小さな願望が隠れていることに気が付かされていきます。たとえそれが無理であっても、そんな国っていったいどんなだろうという好奇心があったのです。

 

私たちは情報化社会に生きており、情報の波に乗れない者は置いて行かれるといった、せわしない現代社会に生きています。そんな忙しさやあわただしさによって、大切な何かを忘れていはいないでしょうか。家族と過ごす時間、かつての趣味、恋愛、自分自身そのもの、将来の夢、これからの未来…目の前にある累積した事象にエネルギーを注ぐことももちろん大事ですが、目的を忘れてはいけませんね。

 

本作品で印象的であったのは、キルギシアの教育制度です。そこには学校はなく、あるのは公園と学びの家のみ。義務教育制度もない代わりに、学ぶ機会が与えられているのです。勉強と学びは相反するものという考え方に非常に感銘を受けました。強制に強いられて行う勉強と、自らの興味に始まる学びとでは、吸収力も成果にも大きな差が表れてきます。

 

脱学校論という理論に感銘を受けていた私にとって、本作品は勇気を与えてくれる一作です。学校になんか行かなくても、留学などしなくても、一流大学に行かなくても、良い教師に出会えずとも、自らの興味関心さえあれば、どんなことからも学ぶことはできるのです。図書館に行けばたくさんの文献がありますし、インターネットを使えば世界中のソースにアクセスすることが可能です。

 

受動的な構えでは、何も身についてきません。いつも能動的に行動しなくてはならないのです。それは教育だけでなく、私たちの人生そのものにも当てはまることです。自らの不遇に悲観している時間があるのであれば、どうその状況を脱するかを考えましょう。自らの人生は自らの力で切り拓くものです。

 

明日も8時間の労働が待っている方が多いことでしょう。しかし、心の片隅にキルギシアの名をとどめておいてください。きっとあなたにひと時の心の安らぎを運んでくれるはずです。

 

 

豊饒の海(四) 「天人五衰」 (著:三島由紀夫)

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豊饒の海も今回が最終話のクライマックスとなります。今まで耳にしたことのない、漢字で読んだことのない、難しい日本語が散りばめられた本作を最後まで読み切った自分に、まずは「よくやった」と褒めたいと思います。

 

さて、本作品の中に登場した言葉で印象に残ったものがあります。それは、焼き立てのホットケーキを「ふくふくとした旨さ」と表現した一文であります。ほくほく、ふわふわといったオノマトペはよく使用しますが、「ふくふく」という擬音は初めて耳にしました。

ふくふくという4文字は、①ホットケーキがふっくらと焼きあがった様子、②温かいホットケーキと溶けたバターが口の中で醸し出す幸せのハーモニー、③母親が家にいるという安心感に母の愛情、④ホットケーキの焼きあがった甘い香りが部屋に充満した幸せのひと時…これら全てを巧みに表現しています。

新しい言葉に出会い、こんなにも心が弾んだことはありません。「ふくふく」ぜひ、皆さんも使ってみてくださいね。

 

さて、本題に入りましょう。本作品では、年老いた本多が透という少年を養子に招き、衝突をするお話となります。透のわき腹にほくろが三つあることを見つけ、輪廻の証拠をその目で確かめてやろうと決断した本多。いい年になっても傍観欲は衰えていませんでした。代わって透自身も、職業柄か「見る」ことに取りつかれ、心も感情も持たない生物と化していました。他人を傷つけ困らせることだけに重きを置いている彼は、人間の悪の塊のようにも見えます。

 

そんな二人の共通点は、どちらも観察力が非常に優れている点です。透の生まれながらの悪を見抜いていた本多。透も周りの女性の本性を見抜き、本多を傷つける策まで作り上げます。人を見る目は俺のが上だと、双方が争いあっていたようにも見えました。彼らはその観察力をもってしてお互いはお互いを映し出す、写し鏡のような存在であることに気が付いていたはずなのですが…ゆえに衝突が絶えなかったのかもしれませんね。

 

転生の瞬間を目の当たりにできなかった本多は、自らの仮説の実証に失敗してしまいました。それは、透がわざと死を遠ざけ、生きながらえる道を選んだからです。このように考えると、本多VS透の戦いは、透の圧勝という形で幕を閉じたことになるでしょう。(しかし、透は自殺未遂でしたので、本当は死ぬ気であったのかもしれません。本多を敬遠し、本多を落胆させることを生きがいにしていた透は、自らの死=本多の望みと考えたはずですので、計画された自作自演の思わせ自殺であったと考えることにします。)

 

また、追い打ちをかけるように、第一作目「春の雪」で主人公の恋人であった聡子は清顕の存在をすっかり忘れていました。老人性アルツハイマーで記憶を失ったのか、彼を亡くしたショックで記憶がなくなったのか、彼の喪失という現実に耐え切れず記憶をすり替えたのか(認知的不協和)、はたまた本当に清顕は存在しなかったのか…

突然に輪廻転生のサイクルが回転を止め、時が止まってしまいました。

 

本多自身も何が何だか分からなくなってしまいます。今まで自分が追い求めてきた謎そのものの存在に確信が持てなくなってしまったのです。清顕の残した夢日記は燃やされ、彼と聡子の間の子は生まれず、本多以外に輪廻を証明するものがなくなっていました。究極のところ、今までのお話は本多が想像した夢物語にすぎなかったという結論に達してもおかしくはありません。

 

他人の熱情をもってしか生を感じられなくなってしまった本多の人生は、なんとはかないことでしょう。今ある人生は一度きりで、誰のものでもなく、自分自身のものです。自分の人生を豊かにすることも、しないことも、すべては私たち自身にかかっています。自らの人生の主人公になることを恐れず、日々邁進したいものです。